しろい雑録----carpe diem

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「猿と呼ばれて」についての考察

    ちょっとふるい2011年11月のアジア・カップの準決勝終了後の話ながら、韓国サッカーの奇誠庸が、日本の対戦相手と応援のみなさんを蔑むにあたって、「(日本人は)猿みたい」と、それなりの動作、つまり猿真似的な身体表現をしたのは、自分たちが対戦相手の日本チームを破った高揚感から生じたことに、疑いはないのだけれど、無意識に、ついに出てしまった「猿」という侮りが、それだけ、もしかしたら、このサッカー選手を含む若い世代に限ったことなのかもしれないのだけれど、誰もあからさまにいわない韓国のみなさんの日本に対する心情的な侮蔑感を、垣間みせたのかもしれない。これは、なかなか興味ぶかいものがあるので、しばらくこのことを考えていました。

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奇誠庸

  逆に、こうした局面で、日本の若いサッカー選手が、敢えて、韓国の人たちに与えるかもしれない侮りの表現をするとなると、あえて禁句に触れれば、考えられるのは、声にして罵る「チョウセン野郎」ぐらいで、動物を表した例はちょっと思いつかない。まして、身体的な表現となると、まずないのだろう。

 

  韓国のみなさんが、日本人を「猿」と見なしかねない理由については、かねてから、以下のような指摘がありました。

  韓国には、野生の猿が生息していないので、(野沢温泉なんかで入浴する)猿と共存する日本人の生活ぶりが印象的であるうえ、ことさらこうした情景を対外的に観光宣伝している以上、「日本人は猿である(のかもしれない)」という断定に加えて、日章旗は、猿の尻が赤いことに由来している、とか云々。

  まあ、噴飯ものの解釈なのですが、上記のサッカー選手の挙動は、日本に生息する野生の猿というよりは、より知能が高いとされ、動画での記録はもとより、動物園やサーカスでもいい、一般的に実際に目にすることができる猿となると、日本でも韓国でも、チンパンジーとなり、それを真似ているわけで、たとえば、原田眞一の映画「関ヶ原」で、秀吉役の滝藤賢一が演じた豊臣秀吉が、石垣のうえで一瞬見せた剽げた挙作(予告編でみることができる)は、日本猿というよりは、チンパンジーのそれでしょう。秀吉は、ほかならぬ「猿」という蔑称を得た日本の歴史上で唯一ともいえる人物ではあるのですが。

 

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滝藤賢一

  さて、フランスの小説家ピエール・ブール(1912~1994)は、若いころ英領マラヤにわたり、ゴム園の現地管理者として、植民地経営に参画していたのですが、帝国陸軍の侵攻作戦で、英仏の植民地支配が崩壊したあと、自由フランス軍に参加して、ゲリラの一員として、現地での対日工作にあたるうち、帝国陸軍の捕虜となって、サイゴン(いま、ホーチミン市)の収容所におくられています。

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ピエール・ブール

 戦時捕虜ではなく、ゲリラとしての捕虜だったはずですから、その取扱いは、過酷だったはずですが、幸いなことに、終戦が迫り、というか、日本の敗色が濃くなった1944年に、外部からの手引きがあて、収容所からの脱出に成功しています。

 ピエール・ブールが、戦後に出版した作品は、著名なところでは、「戦場にかける橋」、そして「猿の惑星」。どちらも映画化されていますが、「猿の惑星」は、シリーズ化して、近年も公開が続いています。

 いうまでもなく、どちらの作品でも、それまでの自分たちの白人優越の世界観なりを壊す、自分たちを超える存在があることを明示しているわけで、戦時下の帝国陸軍との闘いと捕虜としての過酷な境遇を体験したことで、主題が生まれたはずです。

 とくに、「猿の惑星」で示した「猿」の存在は、だれもはっきりとは言及しないし、できないのだけれど、日本人を想定してしていることは、いうまでもないことで、ピエール・ブールにとっては、「日本人は、自分たちとはちがう、猿」というわけです。

 

   インバウンドでもなんでもいいのだけれど、韓国人になんにしろ、外国人が、日本に至り、われわれ日本人を眺めるとき、「あれは、猿のごときもの」という感情がどこかに宿っているのかもしれない、と自覚しておいてもいいのかもしれない、と思い至ったわけで。

  と、書いたところで、会津若松飯盛山にある白虎隊の史跡で、自刃した少年たちと同じ年ごろの中高生たちが、石碑によじ登って騒ぐにつけ、地元の方が「(あれでは)猿そのものだ」と喝破したことが某サイトにあって、つい笑ってしまったのであります。