しろい雑録----carpe diem

暮らしや独り旅、考えたことや読んだ本のことなど。

発禁になってしまった「武漢日記」

 生まれは南京ながら、幼児期から高校、大学、そして職業生活も通じて、60年余は、焦点の武漢を動かず過ごしているという女流作家の方方女史が、コロナ禍のなかで綴っている日常雑記「武漢日記」が、日本でも翻訳出版されたのはいいのですが、中国国内では発禁となっていると、共同通信が伝えています。

 1955年5月の生まれで、魯迅賞も受けた丸顔で穏やかそうなおばさん風な文筆家です。作風も円満な性格を醸しています。

 「武漢日記」は、この「はてなブログ」と同じように、ブログを通じて日々の身辺の出来事を記録し、ネットで公開してきた記事をまとめたわけなのですが、日本のブログ事情とは違って、ブログの内容について、公開の前に、①ネット検閲を受けている②一部が削除されても甘受してるーー旨の説明を、「武漢日記」のなかでしています。

 つまり、中国でブログを上梓する場合は、当局が内容の審査を行い、方方女史の場合でいえば、そのご威光というかご意向とうか、に逆らうことなく、検閲の目を意識しながら、書き続けている辛さがあるようです。ときには迎合しているなあ、と、うかがわせる記述も散見するわけで、こんなところは、母国というか、祖国というか、中国と地元の武漢を誇りにしている、きわめてまっとうな、わたしにいわせれば、ごくごく典型的な中国人っぽい作風ではあります。

 ただ、ネット規制は通り抜けたのに、なぜ国内出版ができないのかというと、媒体の違いの故だと思う。一方は電子の世界ですぐに消去できる一方、印刷された活字は消えない。

 「ある仮設病院に、政府の高官が視察に来たらしい。数十人が立っており、役人、医療スタッフのほか、おそらく患者もいたのだろう。彼らはみなマスクをつけ、ベットに横たわる患者の一人一人に向かって高らかに「共産党がなければ新中国はない」を歌っている。この歌は誰が歌ってもいいが、どうして病室で高らかに歌う必要があるのだろう?」

 「私はさらに言いたい。役人が仕事に出向いたり先で旗を掲げたり、記念写真を撮ったりしなくなるのいつだろう。政府高官の視察のとき、恩義に感謝する歌を歌ったり、芝居がかったパフォーマンスをしなくなるのはいつだろう」

 あの国では、いかにもいかにも、ありそうなことで、おそらく、こうした率直な記述が、波紋を呼んだのかもしれない。

 肝心のコロナ禍のもとでの暮らしぶりとかへの感想は、別記にて。枝葉のほうに話は流れてしまった。

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コロナ禍に続いて大増水の重慶(出典は中新網)。重慶三峡ダムの上流域にあにあって、

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コロナ禍に続いて大増水の重慶(出典は中新網)。重慶は三峡の上流にある直轄都市。